【小鹿田焼】民陶の里 小鹿田と柳宗悦

小鹿田焼

民陶の里

大分県日田市、綺麗な川の流れる山間に小さな里があります。

小鹿田1
透明度の高い川の水が大きな「ししおどし」のようなものを動かしています。
それが川の流れに沿っていくつも点在し、里中から一定の間隔で
「ギィー……、ゴトン」という音が響いてきます。

小鹿田2
その音と水しぶきの音以外は静かな里の中を歩いていると、
初めて訪れるはずなのに、どこか懐かしい気持ちになります。
その情景が私たち日本人にとって、原風景のように映るからでしょうか。

里のはじまり

小鹿田6
民陶の里、小鹿田は幕府の直轄領だった日田において
領内に生活雑器を供給する目的で開かれました。

1705年、この事業の出資者となった黒木十兵衛は、
地理的に近く、当時から焼き物の産地として知られていた小石原から
陶工、柳瀬三右衛門を招きました。

これに小鹿田で指導的な立場にあった坂本家が土地を提供し、
小鹿田に初めての登り窯が開かれました。

小鹿田3
以来300年、すべての技法が変わることなく受け継がれて今日に至っています。

小鹿田4
小鹿田の土は弱く、丁寧な作業を要します。
そのため現代でも蹴轆轤を利用し、ひとつひとつ丹念に成形しています。

現在、小鹿田の人々は陶芸に専業していますが、
それが可能になったのはわずか30〜40年前でした。
半農半陶の暮らしが約250年もの間続いたのです。

小鹿田 黒木窯
時には農業のほうが比重が高かった時代もあったといいます。

小鹿田に限らず、日本の近代以前の山に暮らす人々の生活は苦難の連続でした。
定住せずに移動を続けるサンカのような人たちを除くと、人々は独自の生業――木地師、鉄山師、杣――のほかに並行して農業をすることがほとんどだったのです。

有名な狩猟民であるマタギも江戸時代以降には、
冬から春の猟に出る期間以外には定住して農業を行っています。

代々続く窯元

小鹿田 唐臼
冒頭で紹介した大きい「ししおどし」は唐臼といいます。
唐臼は水を受けるのと反対の側が杵になっていて、それが土を細かく砕きます。
恐らく300年の永い歳月、ほとんど休むことなくこの音を響かせているのでしょう。

小鹿田
小鹿田の窯元はよそから弟子をとらず長男だけが家業を継ぎます。
この伝統は掟のためというよりも貧しさの故でした。

小鹿田
大きな機械を入れることのできない傾斜の土地という地理的な要因と
弟子をとって育てることのできない経済的な要因、これらの悪条件があったからこそ、
小鹿田焼は300年に渡って変わることなく続いてきたといえます。

訪れた転機

美学者、柳宗悦

柳宗悦
小鹿田焼が広く世に知られるきっかけをつくったのは柳宗悦(1889 – 1961)でした。
柳宗悦はある日、久留米の陶器屋で不思議な品々を見つけます。

それはどうして今出来のものとは思えない。それほど手法が古く、形が良く色が美しい。或ものは遠く唐宋の窯さへ想起させた。心を惹かれながらそれらの数々の物を棚から下ろした時、凡てが同じ一つの窯で焼かれているのを知った。そうしてその窯が日田郡大鶴村に在ることを漏れ聞いたのである。それ以来その窯のことが心を離れなかった。

引用:柳宗悦『日田の皿山』

小鹿田
それが宗悦と小鹿田焼との出会いでした。

“民藝”とは

思想家、美学者、宗教哲学者であった宗悦は当時、
イギリスで詩人のウィリアム・モリスが提唱したアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴し、
その思想を“民藝”という言葉に集約させていきます。

なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか。(中略)作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜むからです。人知に守られる富貴な品より、自然に守られる民藝品の方に、より確かさがあることに何の不思議もないわけです。

引用:柳宗悦『民藝とは何か』

一流の芸術家が貴族のために創ったものではなく、
名も無きひとびとが作り続けてきた一般の生活の中に溶け込んだものたち。
そういったものこそが本当の意味での芸術なのだ、宗悦はそう確信します。

“民藝”の定義

柳宗悦は民藝を以下のように定義しました。

実用性:観賞のためではなく、実用性を備えていること
無銘性:無名の職人によってつくられたものであること、名をあげるための仕事でないこと
複数性:民衆の需要に応じるため、数多くつくられたものであること
廉価性:民衆が日用品として購入できる、安価なものであること
地方性:色、かたち、模様などに土地の暮らしに根ざした地域性があること
分業性:量産を可能にするため熟練者による共同作業でつくられていること
伝統性:先人が培ってきた技術や知識の蓄積にのっとっていること
他力性:個人の力よりも気候風土や伝統などの他力に支えられていること

引用:「民藝」について | “民芸のある暮し” 手しごと

日本の工芸は後継者不足のため伝統性の維持は厳しい状況ですが、
それよりも難しいのは他力性です。交通網や流通の発達した現代においては
その土地の気候風土は次第に衰退し平準化されていきます。
小鹿田のひとたちはそのなかで自分たちの土地に根ざした作品を作り続けています。

小鹿田
今夏、台風で大変な被害に見舞われ復興途上の小鹿田ですが、
きっとその他力性を自覚した小鹿田のひとびとは蹴轆轤で作品を形作っていくように、
その手でその土地を整えていかれるのでしょう。
遠くからではありますがなにか支援になることができればとお思います。

小鹿田焼の特徴

小鹿田焼
小鹿田焼は「飛び鉋」といわれる技法で表面に放射状の傷を付けたものがよく知られます。
短く切ったゼンマイを皿にあてて轆轤を回しながらひっかくように傷をつけるとこの模様が生まれます。

また刷毛目といって刷毛で模様を付けたものもあります。
残念ながら刷毛目のお皿が自宅になく写真が載せられませんでした。

この記事を書くために参考にした主な書籍

原田マハ『リーチ先生』

リーチ先生
バーナード・リーチの生涯を描いた作品。
柳宗悦や濱田庄司、また志賀直哉など白樺派の友人たちとの交友も描かれ、
豪華な実在の人物が沢山登場して面白いです。

小鹿田行きを決めて訪れる前に読んでおこうと、手に取った本です。

柳宗悦『民藝とは何か』

民藝とは何か (講談社学術文庫)
書名の通り、柳宗悦自身が民藝について語った本です。
宗悦が民藝の“評論家”ではなく“愛好家”であることが、
謙虚で淡々としているにもかかわらず、熱を持った文章から伝わってきます。

なお文中の『日田の皿山』は入手が困難なため下記より引用させていただきました。

http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito2/yokahito2-1-21.pdf

天童木工 バタフライスツール ローズウッド S-0521 RW-ST
ちなみにバタフライスツールで有名なインダストリアルデザイナー、
柳宗理(1915 – 2011)は宗悦の息子になります。
我が家でもキッチンツール等いくつかあつめています。

宮本常一『山に生きる人びと』

山に生きる人びと (河出文庫)
小鹿田に直接関連してくる話はありませんが、
あえて人里を離れて山で生きた人びとの歴史が書かれています。

平地で暮らす人びとが稲作を取り入れて弥生式文化を生み出していったのとは対象的に、山に生きた人びとは縄文時代からの狩猟文化を保有し続けた人びとではなかったか、という仮説が提示されています。

Writer

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KO

誕生日に会社のみんなから『世界文学全集』をプレゼントしてもらった読書好きフロントエンド・エンジニアです。WordPressとMovableTypeが得意ですが、本当の特技は薪割りです。

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