知っているともっと楽しくなる! マリー・アントワネット展 その1 〜母 マリア・テレジア〜

森アーツセンターギャラリーで開催されている「マリー・アントワネット展」に行ってきました。

教科書で読んだ程度の知識で見に行ってしまいましたので、見終わってからもう少し勉強してから見に来れば良かった、と後悔しました。

そんな自分への反省も込めて、マリー・アントワネット展をこれから見に行く方のために、簡単にですが「マリー・アントワネット展」がもっと楽しくなるような歴史をまとめてみました。

マリー・アントワネットの幼少期

マリー・アントワネット誕生

マリー・アントワネットは1755年11月2日、オーストリアのウィーンで生を受けました。父は小国ロートリンゲンの公子フランツ・シュテファン。母は神聖ローマ皇帝カール6世の娘、マリア・テレジア。

マリー・アントワネットは多産なテレジアの11番めの娘として生まれました。正式なオーストリア名は「マリア・アントニア・ヨーゼファ・ヨハンナ」といいます。

ちなみにこの時代のヨーロッパは名前のバリエーションがあまりなく、姉妹たちもみんな、マリア。

親の名を受け継ぎつつ、聖人の名前をつけるので同名が多くなります。フランス革命というと世界が近代化へ向かう出来事の一つのようですが、このような話を聞くと、千年以上の時を経ても古代ローマの命名規則と大差がなかったんだな、と思いますね。

翌年に弟が生まれマリア・テレジアのお産は終わります。息子5人、娘11人。テレジアはなんと16回の出産をしました。

幼いころからアントワネットは宮廷作法を身につけるべく教育を受けます。それはフランス語から始まってダンス、音楽、刺繍、そして姿勢、立ち居振る舞いにいたるまで、厳しく躾けられました。

「愛の勝利」を踊るアントワネット
幼いころのアントワネット(右)

モーツァルトからのプロポーズ

マリー・アントワネットが7歳の頃、シェーンブルンで見事なチェンバロの演奏を披露した6歳の少年がいました。彼は演奏後に床にすべって転び、それを見て手を差し伸べたアントワネットにこう言いました。

「ありがとう。やさしいね。大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる。」

この少年こそが、当時から神童の誉れ高かったモーツァルトです。


この話が事実かどうかは、定かではありませんが、同じく、30代という若かさで死んでいった悲劇の二人が重なり合う有名なエピソードですね。

母マリア・テレジア

7歳で決まった未来


母マリア・テレジアはハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世と、皇后エリーザベト・クリスティーネの長女として誕生しました。

男系相続が当たり前の時代、当然ハプスブルク家も例外ではありませんでした。しかし相続者と目されていたテレジアの兄が夭逝すると、以後、カール6世は男子に恵まれず、自らの死後の相続を危ぶんだカール6世は国事詔書を発布しました。

これに長子であれば女子にも相続権が認められるように長子相続制を定め、周辺諸国に認めさせました。しかし家の相続はともかく、神聖ローマ皇帝の位は女帝の誕生を許されないものでした。

こうしてマリア・テレジアはわずか7歳の幼さでハプスブルク家の相続権と、次代の神聖ローマ皇帝を生む定めを負いました。

幼いころより将来を決められてしまったテレジアですが、彼女が唯一、しかし決定的と言っていいほど幸せだった点は、娘のマリー・アントワネットを例に上げるまでもなく、政略結婚が当たり前だったこの時代に恋愛結婚をしたことです。

テレジアの夫、フランツ・シュテファンはハプスブルク家から見れば随分と格下、小国の公子でした。しかし陽気なシュテファンにテレジアは夢中になり、カール6世も彼を気に入りました。


フランツ・シュテファン(フランツ1世)

6歳の時には出会ったと言いますから、おそらく初恋の相手と結婚したということになるのでしょう。

カール6世にしてみれば大事なのはハプスブルク家の血を残すことでしたから、テレジアが好きになった人物の多少の貴賎は大目に見たのかもしれません。

テレジアは19歳で結婚します。3人の女児を生み、4人目を身ごもっている頃、カール6世は待望の後継者を見ることなく1740年、55歳で急逝してしまします。この時、マリア・テレジアは23歳でした。

するとカール6世の定めた長子相続制は反故にされ、男系の途絶えたハプスブルク家はもう存在しないと、ここぞとばかりプロイセン王フリードリヒ2世が、ハプスブルク領、北部のシュレージエンを侵略してきます。

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KO

誕生日に会社のみんなから『世界文学全集』をプレゼントしてもらった読書好きフロントエンド・エンジニアです。WordPressとMovableTypeが得意ですが、本当の特技は薪割りです。

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